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スズキニーマルサン と読みます
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かかっちまったよ、そうさ、


嘔吐下痢症。


最初は次女がげーってして、
てっきり離乳食が固かったからカーと思って、
あー適当でごめんねーって言いながら、
ちゃちゃっと片付けたのがいけなかったようで…


あ、れ、なんか、きもちわるい


家族全員上から下からたいへんなことに。
休日診療にかけこむも、
こういうのは出すしかないわけで。


まあでも、大した病気じゃなくてよかったさ。

30分に一回はオムツ換えてたけどね!
丸2日は私もほぼ寝たきりだったけどね!
3日間風呂入んなかったけどね!
2,3日食べなかったら体重の十の位が変わっちゃったけどね!


これを機に長女が少しでも痩せてくれればいいな…なんてね。
しかしおかゆよりもパンを食べたがる小僧。




みんな、手洗いうがいはしっかりしようね。


あ、さおちゃん、こんなんだったのでメール返せなかった、ごめんね。
そして爽やかな動物の写真の上にこんな記事で、ごめんね。



----


余震、続いてますが、いかがお過ごしでしょう。



静岡でもスーパーで米や水が品薄だったり
薬局でオムツやミルクが品薄だったりしてます。


実は私もね、地震があった次の日、お米買いに行ったんです。


すっごく落ち着かない気分の中、
これから何が要るだろうと考えて、

ふと
「東北の方だからお米が手にはいりにくくなるかなー」と思って、
とりあえずお米とミルクだけ買いに行ったのね。


まだ今みたいに買い占めだ!品薄だ!なんて全然言ってなかった。

だから普通にお米もあったし、ミルクもあった。



その次の日くらいから「買い占め」「品薄」ってことばが出始めて、
私はこの米を買ってよかったのか?!と、疑問に思ったりもしました。

(普段は旦那の実家がお米作ってていただくので、あまり買わないの)


でもさ、
なきゃないでいいんだよね、ほんと。



「被災地の方に送るので静岡の方は米買わないでください」って言われりゃ、
しばらく米なくたっていいよ。


だって、こっちは生活に困ってないもん。
麺だろうとパンだろうと野菜だろうと、他のモノ食べるからいいよ。


「オムツ間に合わないんでありません」って言われたって、
布オムツあるし、古着やタオルでなんとかするからいいっすよ。


だって、こっちは水道もガスも通ってるもん。
洗濯できるから、被災地に送ってください。


節電だって、もし個別に募集してくれるなら、選んで良いよ。

だって、うちは客商売でもないし電源が必要な医療器具使う病人もいない。
停電が死活問題になっちゃう方がいるなら、うちを選んでほしい。


でもそうじゃないから、普通に買えるなら、買うよ。
消費しなきゃ、経済回んないしね。



オムツ、薬局はなかったけどトイザらスには山のようにあった。
なんか、偏ってるよね。



さて問題。
最初の大地震の際、我が家が一番最初にしたことはなんでしょう。




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ぽっかーと空いてしまった、今週。





さすがに6日の年休申請、全部は取り消せず(いや、しようとすればできたんだけど)
来年度のじぶんの働きかたを考えると
最後のおっきな休みな感じがして
それに最近ぴりりと気を張ってしまってもいたし、、

今週いっぱい、ぽかーっと休むことにしました す。




初七日のために静岡に帰り、
安心できる人々と会い、くだらなくて真剣な話をしたりして
横浜にもどってまいりました。


いつも休日って、
目的を決めて取っていたから
ほんとうにフリーなこの連休に 多少困惑しております。






でも
どーっしても ざわざわとするものを
洗い流したくて。
どうしたら、どこへ行ったらいいんだろーと考えていたけどけっきょく


八景島へいってきた です。






このときはじめて知った
シーサイドラインという乗り物(多分電車だとおもう)、
その名のとおり、海のすぐそば。
海沿いをぐるーっとまわりこんで
まるでディズニーリゾートの周りをはしってる電車みたいで
すごく盛り上がってしまううう。フーッ
同乗してたのは釣り竿もったおじさまたちだったけども。


3月も終盤なのにまだまだ寒さが厳しいこのごろ、、、。
すんごく寒かったぞ、八景島。
節電の影響で遊園地もかなりトーンダウンしてたけど


水族館にはぽくぽくといつもどおり続く命が たくさーーーーん あったよ。





レタスに群がるお魚。
意外に菜食家なとこにオドロキ。


IMG_1174.jpg















八景島シーパラは、海獣がいっぱいいた!
こちらジンベエザメ。



IMG_1178.jpg









イルカたちのショーはこのサメがいる水槽で行われる…。
サメのなかでー!とはらはらしたけど
ジンベエさんは人やイルカたちをむやみに襲うような暴れん坊ではないらしい。




こちらにいるのはアザラシ。

IMG_1183.jpg




人面岩のようですが、






IMG_1184.jpg




ちゃんと動いてますほら。

それにしてもなんて目をしてるんだ、、
もっとクリクリ愛らしい目をしてたはずなんだが。








IMG_1188.jpg

お次はこちら。

シロクマ。

動物園でもよくみるけれど、
動物園ではいっつもとーーくにいる。

けど、



ここでは


IMG_1197.jpg


こんな近くにーーー!

水の中でこの毛がふわふわとキラキラと

IMG_1190.jpg





すごいキレイだった。









それにセイウチとか


ラッコも一匹いたよ。ラッコ、イタチの仲間なんだね。
ほっぺをぐしぐししててすんごいかわいかった。
お食事の時間に当たって、
おねーさんにエサの貝やイカをもらってたんだけど
もらった貝をあけるために水槽にガンガン打ち付けてて、
さきほどラッコの水槽だけやけにキズだらけで見にくい、、と思った理由がわかる。

そしてイカゲソをものすごい勢いで噛みちぎりながら食らってるようすが
また愛らしく、写真撮影を試みたのだが。


IMG_1206.jpg





IMG_1207.jpg






IMG_1205.jpg






…!





ぜんっぜんわからねえ。
食べ方が激しすぎてとらえられず。
最後の一枚なんか見れば見るほど宇宙人が見えてくるようで怖い。



ラッコ、本物はもっとかわいかったんだよー。泣





そして飛べない鳥ペンギン、

IMG_1203.jpg



ほんとうは「飛べる」のかもしれない。








あとはちーーーさくて透明なからだのエビがいたよ。

クジラの背中も触ったよ。





生命に触れるってこんなに楽しくて
元気をもらえる事なんだーと。
だから料理も元気になれることのひとつなんだねと。



ラッコを見てからむしょーにイカが食べたくなり(すごくおいしそうにたべてたの!)
帰りにお魚屋さんに寄って、
生のイカを買い、皮をむいてもらってちゃーんとハラワタはお持ち帰り。


その日はごはんをまるまる作ってもらい
お腹いっぱい食べた。


しあわせな一日でした。




こんな日を過ごす事ができて
本当にありがとうです。




そして今は、
わたしはその「ありがとう」
なにに向けておもう感謝なのだろうか、と
それについてすこし考えています。








IMG_1212.jpg






…エビフライ?


 

 

まず、はじめに、
被災されたすべての方々に心からお見舞い申し上げます。



正直今もまだ、いろいろなことに追いついてけてなくて、言葉にするのはむずかしい。

 

一気にぐわーっといろんなことが押し寄せてしまって、どうにもこうにもずうっとこんがらがっている。身体の中も、気持ちも。

 

 

 

このままでいても八方塞なだけなので、時間をかけてでも、これは言葉にすべきだと思った。
モノゴトは言葉にすることで自分のものになる。言葉自体はそのモノにはなれないけれど、言葉にするという行為によって、そのモノと向き合うことができる。はず、

 すごく長くなると思う。自己満足なのであしからず。

 

 

 

 

 

311日、
一番はじめの地震が起きたとき、私は上野にいて、免震層に支えられた築105年の建物のなかでゆーらゆーらと揺れていた。だんだんと事の重大さに気づき始めると同時に、今晩は横浜に帰れないことを認めざるを得なくなった。
職場でみんなと非常食を分け合ったあと、同僚さんのお家が界隈にあるとのことで、急いでころがりこんだ。夜なのに何台も続くテールライトと、その間を縫ってもくもくとあるく人々。まるで大晦日の夜みたいだった。

 

 

職場仲間の家は下町の閑静な住宅街のなかにあって、友人と3人でシェアしている一軒家だった。同居人のお二人は帰っておらず、一足先に着いていた職場仲間の友人(これまた帰宅できなかったひと)とはじめましてどうも、とあいさつを交わした。作り置いてあったカレーとレンコンのピクルスをさっと出してくれ、あたたかいごはんとお風呂お布団に恵まれて、感謝のきもちでいっぱいだった。

 

 

 

 

生きられたこと、やさしさに恵まれたことに幸せを感じながら、
さあ寝よう、と思ったとき

Gメールで親と安否確認をしていたこともあって、iPhoneでもういちどGメールを立ち上げる。

 

 

 

するとそこには新着メールが2通。

 

 

 

相方からの「いまから家に帰るよ」という連絡と
母からの「今、おばあちゃんが亡くなりました」という知らせだった。

 

 

 

 

 

そのときは初対面の人と同じ空間にいるということもあって、からだの端っこで動揺するだけだった。
次の日、朝から最寄り駅に駆けつけ、まずは急いで横浜に帰ろうとするも、
何度も何度も足止めされて、なかなか進まない電車をどうしてもじれったく思いながら
やっとのことで家にたどり着き、玄関のドアをしめてようやく、。

 

 

 

 

私に残されたたったひとりの祖母だった。

 

少し自閉症の気があって、本当に苦労ばかりしてきた人だった。
ほんとうにピュアでかわいい、不変を愛する人だったねとみんなで話した。
私の花嫁姿をみるのを本当に楽しみにしてくれていて、私はその祖母に自分の花嫁姿を見せるのが夢だった。

 

 

 


わさわさと地震による悲痛なニュースが舞い込む中、目の前にあるのはそれとまったく関係ないところで起きた大事な人の死。

そのかなしみのなかだけに浸りたかったけれど、どんどん垣根がくずされていって、いろんな情報が自分のなかに渦巻いて、いったい自分は何をかんじるべきなのか、どうあるべきなのか全くわからなくなった。
ただ、静岡に帰省した私はいま、大好きな祖母のそばに立っている、ということだけが明確なのだった。

 

 

 

お通夜の日の夜、祖母のとなりで母と二人一緒に眠ることにした。3世代がともにした、最期の夜。
あまりに安らかに眠っているような顔だったので、今でも祖母の死というものを100%は受け入れられてないような気もする。「ねえ起きて」と言えば目を覚ましそうなのだけど、永遠に開かれないまぶたがそこにあったことはちゃんとわかっていた、つもりでいるのだけど。

 


私の母にとっては、自分の母親の告別式という日、

何十年も前、その亡き母親に嫁入り道具として持たされた生家の紋つきの黒い着物に袖をとおし、背筋をピンと伸ばして自らを着付ける母の姿。
受け継がれるものの存在を、とても深く深く 感じた。

 

私はどこの家にお嫁に行っても立石家の家紋を刻んだ着物を着ることになる。
友人が「結婚すると女性は相手方の籍に入るから、両親と戸籍上は他人になる」ということを聞かされていたけど、
この紋さえあれば、絆はちゃんと刻んでおける。だから大丈夫だとさえおもった。

 

 

 

棺のなかにはたくさんの花と折り紙を入れた。
ずっと祖母の世話をしてくれていた母の兄嫁は、朝炊いたご飯を枕元に置き、「おばあちゃん、ちゃんと7時に食べてね、7時に食べてね。」と繰り返していた。
祖母は朝ごはんを7時に食べ始めないとパニックになってしまうほど、きちんきちんと自分のペースを愛する性格だったから。

 

 

 

こんなちっぽけな田舎の町の、ちいさなおばあさんが突然死んでしまったことも、
何万人もの人が被災してしまったことも、どれも私に無関係なことではなくて。すべてが地続きで起こっているのだということを否応なく突きつけられて、
もう何も言えなくて。

 

できることならやっぱり、おばあちゃんとの別れだけに浸っていたかった。
自分中心な考えだというのは本当にわかってるよ。けど、けどさ。

 

 

今朝にはもう首都圏に戻り、仕事を再開してる。

こっちに戻ってきたら、交通機関の状況やライフラインの節約、放射能からの被ばく対策など、今度は自分が生きてくために考えなきゃいけないこと、
そして今も苦しんでいる被災者の人々のためにわたしたちが何をできるのか考えるべきことが山のように積もっていた。

 

 

 

 

スペインに行くのをキャンセルした、ひろりんごめん。

だから年休申請も取り消した。

図書館とギャラリーを続けていくことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

こうして日々は平等に流れていくのか。

と、かなしくでもうれしくでもなくおもう。

 

 

あの日、震災の被害もなく、心ゆくまで祖母を天へ送ることができたことを、本当に本当に感謝したい。

そしてこっからは、頭をキリリと切り替えて
一日でもはやく、被災地の方々がこころ穏やかに過ごせる日が戻ってくることを願って、
自分にできることを一つ一つしていこうと思います。
あと、すぐ隣にいてくれる人たちにとってできることも。



あかるい希望ぬくもりを胸にもって、ね。



安否確認のメールや連絡をくれたみなさん、
本当にありがとう。
私はいたって元気です。

 

みんなでがんばろう、
がんばろうね。






長女が産まれて1年7ヶ月、次女が産まれて6ヶ月。



こうやって数字にすると、大人にとってはほんの短い期間で、
楽しく過ごしていればあっという間。


でも、出産から産後、新生児期を過ごして来た者にとっては、
とっても長くてある意味しんどい期間だと思う。


私も実際自分が出産するまでは、
赤ちゃんの時期ってかわいくていいなぁ
出産って大変そうだなぁ
くらいしか想像してなかった。


今になって、改めて振り返って、


自分…ほんとよくやったよ!
おまえがんばったよ!
一年しか違わない年子二人かかえて
ほぼ一人で子育てって、えらいよ!


はじめて、自分で自分をほめたいと思います。
と、同時に

そんなにがんばらんでもよかったんじゃないの?
もっともっと人頼って、
辛いよーしんどいよー寂しいよーって
言ってもよかったんじゃないの?

とも思う。


親になると、人はみんながんばっちゃうんだよね。


でも、赤ちゃんの時期って、
みんなあんまり言わないだけで、本当しんどいんだよ。

幸せな部分しか表に見せないだけでね。


「ママは寝れなくて大変」

それだけじゃないさ。


抱っこしてないと泣く泣く泣く。

赤ちゃんの泣き声って、
たまに聞くとかわいいけど、
一緒にいる人が延々と泣き続けてたら、
疲れるでしょ。


抱っこしてると肩は凝るし、
肩が凝ると頭痛になる。
両手塞がってるから、
二時間三時間ぼーっと立ってるだけ。


昼の二時から夕飯の支度始めても
中断中断で結局出来るのは夕方。


朝から晩までずーっと部屋着で、
自分の時間なんてほとんどない。


なんかね、夜明けが来ない朝をひたすら待っている感じ。

あー、寝ないうちに朝になっちゃうな…もうすぐ夜が明けるかな…早く朝にならないかな…
朝になったらご飯食べて…着替えて出かけたいな…昼寝もしたいな…。
あれ、
でもなかなか朝来ないな…いつになったら明けるんだろう…そういってる間にまた夜になっちゃった…今日なにしたっけ…夜明けはいつくるんだろう…。


ストレスって、毎日続くのが、一番たちが悪いんだって。


産後鬱とかノイローゼとかって、
みんな、まるでひとごとでもないんじゃないかな。



それでも、なんとか乗り越えて今までやってこれたのは、
手をにぎるようになった。
目で追うようになった。
首がしっかりしてきた。
ミルクを飲む量が増えた。


ちょっとした変化があって、
かわいい寝顔があって、
嬉しい気持ちがあるから。


もう親になってる人も、
これから親になる人も、
なる予定のない人も、


身近に赤ちゃんを抱えた人がいたら、
ぜひ、ひとこと、声をかけてあげてほしいと思う。


電話はでれないかもしれないから、
メールで、
「あなたに会いたいよ」って。

赤ちゃんに会いたいだけでなく、
あなたに会いたいよって。


できることなら、
ほんの少しだけでも、
赤ちゃん見ててあげると
母はほっとします。


やっぱり、見てなきゃいけないって
気持ちがあるから、
離れられるのはほっとするんです。


そして父になった人には、
とにかく赤ちゃんにかまってほしい。

抱っこして、
見ててやるからその間に好きな事しなって、
言ってほしい。



一人きりで面倒をみて母を外出させて…
ってとこまでしなくてもいいから、
同じ家の中同じ部屋の中にいて、

泣いたらまず俺が見る!
わからんけどとりあえず抱っこしてやる!

っていう、心意気が、ほしい。


言ってくれれば手伝うよー、ではなく、
見てようか?って言ってほしいんです。


そして母になったら、
絶対ぜったい思いつめないで、
なるべくたくさんの人に、
頼ってほしい。


やっとここまできた、私の感想です。

---


以上は個人的見解なので、
違うぜよ、って思った方は、あしからず。

いろいろまじめに書いちゃったけど、
ワタシは元気ですよ。
子育て楽しいですよ。


早く春になるといいねぇ。






あるときから、
たった一つのことばかり頭のなかをぐるぐるまわっている。





あれは本当に起きたことだったのか、それともすべては夢なのか。


一瞬の出来事だったようにも感じるし、
何度も繰り返したような覚えもある。


かすかな記憶が、ひっちゃかめっちゃかに
縦横無尽に行き交って
もういまある記憶はすべて、
わたしがつくりだしたものになってしまったみたい。




本当のことを知りたいのだけれど、
でも、
その事自体にはなんの深い意味もなくて
知ったとしてもなんてことはなくて
ただあのとき、何の気なくタイミングが合った、
というだけなのだとわかっている。
そう、例えるなら
すこし離れた誰かとふと「あ、目が合った」
これくらいに軽くてさらっとしたもの
であったことは間違いない。



問題は今、このようにぐるぐるまわってしまっている
わたしの状態であって。
もっと揺るぎない自分が欲しいということ。





でも


でもきっとそのうち、時が経てば
またいつもの日常にもどってくるはず。
おとなしくジッと待つのみ。






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HN:
cojicoji & みずの
性別:
女性
自己紹介:
2007年9月から2008年3月まで
不定期でオープンした「suzuki203」。
サロン風に、cojicojiとみずのの自宅スペースを開放し、
ゆるいおもてなしと企画を用意して
みんなで有機的な時間の共有を試みる。


2008年4月より、
cojicojiとみずのはそれぞれの道を歩むこととなり別々の場所へ。


いつかもう一度
「suzuki203」なる場所で会えるときまでここで・・・。




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