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スズキニーマルサン と読みます
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まず、はじめに、
被災されたすべての方々に心からお見舞い申し上げます。



正直今もまだ、いろいろなことに追いついてけてなくて、言葉にするのはむずかしい。

 

一気にぐわーっといろんなことが押し寄せてしまって、どうにもこうにもずうっとこんがらがっている。身体の中も、気持ちも。

 

 

 

このままでいても八方塞なだけなので、時間をかけてでも、これは言葉にすべきだと思った。
モノゴトは言葉にすることで自分のものになる。言葉自体はそのモノにはなれないけれど、言葉にするという行為によって、そのモノと向き合うことができる。はず、

 すごく長くなると思う。自己満足なのであしからず。

 

 

 

 

 

311日、
一番はじめの地震が起きたとき、私は上野にいて、免震層に支えられた築105年の建物のなかでゆーらゆーらと揺れていた。だんだんと事の重大さに気づき始めると同時に、今晩は横浜に帰れないことを認めざるを得なくなった。
職場でみんなと非常食を分け合ったあと、同僚さんのお家が界隈にあるとのことで、急いでころがりこんだ。夜なのに何台も続くテールライトと、その間を縫ってもくもくとあるく人々。まるで大晦日の夜みたいだった。

 

 

職場仲間の家は下町の閑静な住宅街のなかにあって、友人と3人でシェアしている一軒家だった。同居人のお二人は帰っておらず、一足先に着いていた職場仲間の友人(これまた帰宅できなかったひと)とはじめましてどうも、とあいさつを交わした。作り置いてあったカレーとレンコンのピクルスをさっと出してくれ、あたたかいごはんとお風呂お布団に恵まれて、感謝のきもちでいっぱいだった。

 

 

 

 

生きられたこと、やさしさに恵まれたことに幸せを感じながら、
さあ寝よう、と思ったとき

Gメールで親と安否確認をしていたこともあって、iPhoneでもういちどGメールを立ち上げる。

 

 

 

するとそこには新着メールが2通。

 

 

 

相方からの「いまから家に帰るよ」という連絡と
母からの「今、おばあちゃんが亡くなりました」という知らせだった。

 

 

 

 

 

そのときは初対面の人と同じ空間にいるということもあって、からだの端っこで動揺するだけだった。
次の日、朝から最寄り駅に駆けつけ、まずは急いで横浜に帰ろうとするも、
何度も何度も足止めされて、なかなか進まない電車をどうしてもじれったく思いながら
やっとのことで家にたどり着き、玄関のドアをしめてようやく、。

 

 

 

 

私に残されたたったひとりの祖母だった。

 

少し自閉症の気があって、本当に苦労ばかりしてきた人だった。
ほんとうにピュアでかわいい、不変を愛する人だったねとみんなで話した。
私の花嫁姿をみるのを本当に楽しみにしてくれていて、私はその祖母に自分の花嫁姿を見せるのが夢だった。

 

 

 


わさわさと地震による悲痛なニュースが舞い込む中、目の前にあるのはそれとまったく関係ないところで起きた大事な人の死。

そのかなしみのなかだけに浸りたかったけれど、どんどん垣根がくずされていって、いろんな情報が自分のなかに渦巻いて、いったい自分は何をかんじるべきなのか、どうあるべきなのか全くわからなくなった。
ただ、静岡に帰省した私はいま、大好きな祖母のそばに立っている、ということだけが明確なのだった。

 

 

 

お通夜の日の夜、祖母のとなりで母と二人一緒に眠ることにした。3世代がともにした、最期の夜。
あまりに安らかに眠っているような顔だったので、今でも祖母の死というものを100%は受け入れられてないような気もする。「ねえ起きて」と言えば目を覚ましそうなのだけど、永遠に開かれないまぶたがそこにあったことはちゃんとわかっていた、つもりでいるのだけど。

 


私の母にとっては、自分の母親の告別式という日、

何十年も前、その亡き母親に嫁入り道具として持たされた生家の紋つきの黒い着物に袖をとおし、背筋をピンと伸ばして自らを着付ける母の姿。
受け継がれるものの存在を、とても深く深く 感じた。

 

私はどこの家にお嫁に行っても立石家の家紋を刻んだ着物を着ることになる。
友人が「結婚すると女性は相手方の籍に入るから、両親と戸籍上は他人になる」ということを聞かされていたけど、
この紋さえあれば、絆はちゃんと刻んでおける。だから大丈夫だとさえおもった。

 

 

 

棺のなかにはたくさんの花と折り紙を入れた。
ずっと祖母の世話をしてくれていた母の兄嫁は、朝炊いたご飯を枕元に置き、「おばあちゃん、ちゃんと7時に食べてね、7時に食べてね。」と繰り返していた。
祖母は朝ごはんを7時に食べ始めないとパニックになってしまうほど、きちんきちんと自分のペースを愛する性格だったから。

 

 

 

こんなちっぽけな田舎の町の、ちいさなおばあさんが突然死んでしまったことも、
何万人もの人が被災してしまったことも、どれも私に無関係なことではなくて。すべてが地続きで起こっているのだということを否応なく突きつけられて、
もう何も言えなくて。

 

できることならやっぱり、おばあちゃんとの別れだけに浸っていたかった。
自分中心な考えだというのは本当にわかってるよ。けど、けどさ。

 

 

今朝にはもう首都圏に戻り、仕事を再開してる。

こっちに戻ってきたら、交通機関の状況やライフラインの節約、放射能からの被ばく対策など、今度は自分が生きてくために考えなきゃいけないこと、
そして今も苦しんでいる被災者の人々のためにわたしたちが何をできるのか考えるべきことが山のように積もっていた。

 

 

 

 

スペインに行くのをキャンセルした、ひろりんごめん。

だから年休申請も取り消した。

図書館とギャラリーを続けていくことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

こうして日々は平等に流れていくのか。

と、かなしくでもうれしくでもなくおもう。

 

 

あの日、震災の被害もなく、心ゆくまで祖母を天へ送ることができたことを、本当に本当に感謝したい。

そしてこっからは、頭をキリリと切り替えて
一日でもはやく、被災地の方々がこころ穏やかに過ごせる日が戻ってくることを願って、
自分にできることを一つ一つしていこうと思います。
あと、すぐ隣にいてくれる人たちにとってできることも。



あかるい希望ぬくもりを胸にもって、ね。



安否確認のメールや連絡をくれたみなさん、
本当にありがとう。
私はいたって元気です。

 

みんなでがんばろう、
がんばろうね。





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cojicoji & みずの
性別:
女性
自己紹介:
2007年9月から2008年3月まで
不定期でオープンした「suzuki203」。
サロン風に、cojicojiとみずのの自宅スペースを開放し、
ゆるいおもてなしと企画を用意して
みんなで有機的な時間の共有を試みる。


2008年4月より、
cojicojiとみずのはそれぞれの道を歩むこととなり別々の場所へ。


いつかもう一度
「suzuki203」なる場所で会えるときまでここで・・・。




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