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スズキニーマルサン と読みます
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5月が、もうすぐ6月になろうとしている よ。

今年は 五月病 になる間もなく! けれど長い 長い 一カ月。

忙しい! って いうより、いろんなオモチャをごたごた 詰めこんだ 箱 のような、そんな一カ月でした。

 

 

 

 

 

先日 宮城県の石巻 に行ってから

いや、それよりももうちょっと前から

「場所」について 考えています。

 

自分の居場所 いたい場所 いるべき場所

今 ここ にいることの意味とか、理由とか

 

これからどうしてこう?っていうことを

ずーっと考えている。

石巻に行って、ますます強くそのことについて 思いめぐらすようになった。

 

 

 

わたしは石巻のなかでも 湊(みなと)という地区に行きました。

避難所でのボランティアというより、

かろうじてお家に住んでいるみなさんや 残されたお家に住みたいって願うみなさん のお手伝い を
してきました。

洗いあげた台所で、地域の方といっしょに炊き出しの豚汁を鍋8つ分くらい つくったり、

お宅の床下の ヘドロ出し をしたり。

2日 という短い時間を、現地のみなさんと過ごしてきました。

 

みなと は 港沿い のまち。

まちのとりわけ港寄りの地域は、

今後、完全に住めなくなるかもしれない みたい。

土地を国が買い上げて、工業地帯にする。そこに住んでた人達は、移住を余儀なくされる。

これが 今もちあがっている新しい津波対策計画の一部なのだという。

 

だからね、

もう住めないってわかってる(まだ明言されてはいないけど、ただ先延ばしにされてるようなものだ)場所に、

県などから派遣されるボランティアは来ないんだって。

 

 

 

…… 。

住めるところ が 優先になるのは、、うん、そうなのかもしれない。

けどね、
今もこの場所を動かないで、きれいにして また住みたい って思ってる人がいっぱいいるの。
そして、

いずれ壊さなければならなくなったとしても、きれいにしてから壊してあげたいっておっしゃるの。

 


全壊した家屋の合間に、
全壊は奇跡的にまぬがれた四角いアパートや家屋が 点々と。

残って大丈夫そうに見える建物も中は津波で滅茶苦茶。


目の前に広がる風景も、
体をえぐるような臭気も、
トラックが通りすがるときに舞い上がる粉じんも、


どれもこれもがすさまじいのに、
この場所を離れないで明日を待つ人たちが たっくさん いるんだ。

 








 

 

場所 って

生きる場所 って




 

 

そう思うと、今度は原発のことが浮かんで、

福島県あたりを 車で通過するとき窓の外をながめていたら、

本当に穏やかな風景がそこに静かに在ることにむねが張り裂けそうになった。

住めるハードは整っている、むしろいつもとまったく同じ うつわ が目の前にあるのに 住めない って。

目に見えないものが、こんなにもゆくて をはばむのものなのかとおもうと、やり切れない。

 

 

 

 

原発のことを考えると、正直疎開したい っておもってしまいます。

ちゃんと調べて、よりリスクの少ない場所に引っ越したい。

将来、もしかして もしかして子ども授かるかもしれないとおもったら、

いま 横浜で呑気にくらしてておい、自分ほんとにだいじょうぶかよ? ってなぐりたくなったりもする…。

 

そんな思いで ゆれてても

実際 わたしはまだ ここ を離れていないし

 

日々はどんどん変化していくわけで、

3月ころに決めたトーキョーでのアートプロジェクトのお仕事 を辞退して、

横浜で 別のアートプロジェクトのお仕事をすることに なったりとか。

 

お仕事をもらって、私はここで必要とされる理由がまたひとつできて

まだここにいる。いるのです、わたしは。

 

 

 

 

やりたいこと と自分の能力、社会から与えられる条件、、、

あらゆるものが絡み合った中心がいまわたしが立つこの点(ポイント)なんだ。

わたしが この仕事を選んだということは、

自分自身でこのポイントを 選んだということでもある。

そしてぐるぐるぐるぐると状況は変化していくのであります。

なんだかレイジー・スーザンみたい。っておもってふふっ となる。

 

今のわたしはもうひとり(ふたり…?)、これからを相談して決めるひとがいるから

横浜のお仕事を終えたとき、また場所 について話し合って 次を決めよう

とおもいます。

 

 

 


ーーー

 

 

もうだいぶ長くかいちゃったけど、

ボランティアの話をもうすこし伝えたいって思うから、下に加えて書きます。

 

被災地にはまだ一度しか行ったことがないけれど

マンパワー が圧倒的に足りてない っていうのをひしひしとかんじました 。


わたしが行ったところは少ないなぁって思っていたら、

別で被災地を5か所くらいまわった友達に、

石巻はボランティア多いほうだよって言われ おどろいたのでした。

 

 

アートやエンターティメント的な要素の必要性ももちろん感じた。

その友達は 夏に向うで作品を1日だけやろうとおもってる って言ってた。

だからわたしも アーティストの存在が必要だってのはもちろんおもうけど、


でも、でも、

そこでわたしは作品発表やワークショップをするだけじゃなくって

同時に 瓦礫撤去やヘドロ回収といった肉体作業もちゃんとしてくれればいいのになっておもう。
切実に。

一日でもいいから。立派な一軒家をおじいさんがひとりで作業するのは 本当に本当に大変なこと。

少しやるくらいではびくともしないような、そんな状況ではあるけれど、ちりも積もればというやつ。

 


ヘドロは本当に深刻です。

これから気温があがればどんどん虫たちが増えてく。いまでさえすごいハエなのに。

さらには蚊の存在も懸念されてる。蚊は感染症の不安もあるから、さらにおそろしい。

 

 

お仕事があるからどうしても頻繁には行けないけれど、

また絶対いきたい。同じまちを、個人レベルのつながりでもって継続的にやってきたい。

 


2年後の8月1日、川開きをむかえるとき、あのまちがどう変わったかを見に行きたいから。

みなと をこれからも見てきたいなって思っています。





文章へたなのが本当に残念だけれど、、、
このことたちをずっと伝えたいと思っていました。

そう、そんなこのごろです。






 

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HN:
cojicoji & みずの
性別:
女性
自己紹介:
2007年9月から2008年3月まで
不定期でオープンした「suzuki203」。
サロン風に、cojicojiとみずのの自宅スペースを開放し、
ゆるいおもてなしと企画を用意して
みんなで有機的な時間の共有を試みる。


2008年4月より、
cojicojiとみずのはそれぞれの道を歩むこととなり別々の場所へ。


いつかもう一度
「suzuki203」なる場所で会えるときまでここで・・・。




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