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さいきん、周りにいろんなことが起きます。






それは
嬉しい出来事、悲しい出来事、いろいろ。


先日の七夕の日に舞い込んだ嬉しいお知らせは、
大切なともだちふたりに起きた奇跡でした。





けれどそうして嬉しい幸せな出来事があれば、

ニュースに 平気で流れているような、とても悲しい悲しい出来事が
自分のすぐ近くで起きようとしていたりする。





私がここでこの前発言した、
あの子もこの子も、相対的に見れば幸せなんじゃないか

というのは、
あまりにも浅はかだったと。

「あの子」「この子」には自分なりに特定の人の顔が浮かんではいたけれど
やはり他人の幸せついては、私が干渉すべきでない。






けれども一方で、その周りに起きていることに対して、

「他人(ひと)は他人(ひと)」

だとか、

「最後はその人自身が乗り越えなきゃいけないんだから」

って
割り切れないなと、
つくづくおもいます。





確かにそれは真理だとおもうし、
当人からしたら「おせっかい」でつらいことなのかもしれない。


けど、そんなふうに突き放しているから
このアトム化した社会が出来上がってるんじゃないのか?


さちさんに借りて読んでいる本
北山晴一『衣服は肉体になにを与えたか—現代モードの社会学』で
とてもよく響いたところ、

 「プライバシー」などと、世界が個の内部に入ってくることを極度に嫌うが、
 いっぽうでそのもっとも秘密な部分においてさえ他者の認知なしには存在しきれない

プライバシー云々とは言っていても、
結局他者の存在を通すことで
人は自分というものを認識できるのだから、


そこに悪意が介在するのは論外だけれども


何かできることはないかとアプローチする姿勢は必要なんじゃないか?





それはもう、泥だんごのぶつけあい さながら、で。
お互いが真剣そのもの、で。



私も実際に、
先月、コミュニケーションの上で大失敗をしたけれど、
相手が本気で泥だんごを投げてくれたから、いまこうして救われてるんであって、

そのままその手を離されていれば、
私はひとつだけでなくもっと多くのものを失っていたはずだ。
モノゴトは 1=1 ではないから。








というわけで、


いま

自分に何ができるか考えている。


自分も

1+1+1+1+1+...+1=「1」

の、+1のひとつの要素として。



一体自分はどう行動するべきか、
これ以上悲しみが悲しみを呼ばないように。






















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幸せと不幸について
人が抱えている悩みがどんなものかなんて、実際周りの人間にはわからないものね。自分でもわかっていない。本当にわかっていたら悩まない。

>プライバシー云々とは言っていても、
結局他者の存在を通すことで
人は自分というものを認識できるのだから、


>そこに悪意が介在するのは論外だけれども


>何かできることはないかとアプローチする姿勢は必要なんじゃないか?

というCojicojiの考えには賛成なんだけど、幸せと不幸と感じる原因についてまず考えてみなければいけないと思う。

自分が与えられている幸せに無自覚であること、その人が不幸である原因の一つだと思っています。指先をちょっと怪我しただけでも、今まで便利とも感じずに指を使っていたことに気付くように。

与えられている幸せには自覚的でいたい。家族、友達、会社、身の回りのもの・・・。

そして、幸せとは何かを知らないこと、お金があること、社会的な地位、友達がたくさんいること、恋人に尽くされること、・・・。これらが本当の幸せだと思うなら、その人は本当には幸せではない。自分が生きている最中も、死んだ後も永く感じられる幸福でなければ、本当に幸福とは言えないと僕は思ってます。

自戒を込めて、Cojicojiの真剣さに触発されて少し書いてみました。

長老 2010/07/23(Fri)23:06:35 編集
無題
+長老


コメントありがとう。
確かに「自分でさえもわからない」そんなことがほとんどだよね。

幸せをかんじられない。
そもそもその原因が病気だとしたら
どうしたらいいんだろう。



どんな状態であれ、
「幸せを感じる」潜在能力というものは
皆がみんな、もっていると思う?

できることなら、そこに希望を託したい。



長い時間をかけて対話しながら。

こじ 2010/08/02(Mon)23:33:13 編集
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HN:
cojicoji & みずの
性別:
女性
自己紹介:
2007年9月から2008年3月まで
不定期でオープンした「suzuki203」。
サロン風に、cojicojiとみずのの自宅スペースを開放し、
ゆるいおもてなしと企画を用意して
みんなで有機的な時間の共有を試みる。


2008年4月より、
cojicojiとみずのはそれぞれの道を歩むこととなり別々の場所へ。


いつかもう一度
「suzuki203」なる場所で会えるときまでここで・・・。




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